森信三さんの「修身教授録」と「最善観」

早いもので今年ももう11月となりました。朝夕の寒さがめっきり秋の気配を感じさせてくれる今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

コロナ感染者数も激減し、飲食店等の時短要請も解除されて、このままの収束を祈るばかりです。今回は、「修身教授録」(著者 森信三 致知出版社)の中から「最善観」の部分を引用、ご紹介させていただきます。 

「修身教授録」と「最善観」

本書は国民教育の師父と謳われた森信三さんが、戦前に大阪天王寺師範学校で教鞭をとられた2年間の「修身」(今でいう「道徳」)の授業の講義録です。高校1~2年生を対象に人間はどう生きるべきかを説かれているものですが、今でも教育界のみならず、SBIホールディングの北尾吉孝社長をはじめ、本書を愛読書にあげられる経営者、ビジネスマンが多いと言われています。   

以下、本書の「最善観」の章の一部を引用、ご紹介させていただきます。

元来この言葉は、ライプニッツという哲学者のとなえた説であって、神はこの世界を最善につくり給うたというのです。すなわち神はその考えうるあらゆる世界のうちで、最上のプランに作られたのがこの世界だというわけです。したがってこの世における色々のよからぬこと、また思わしからざることも、神の全知の眼からみれば、それぞれそこに意味があると言えるわけです。

そして、この真理を、自分自身の上に受け取って、もしこの世が最善にできているとしたら、それを構成している一員であるわれわれ自身の運命もまた、その人にとっては、最善という意味を有しなければならぬと信じるわけです。

このような諸説も、大学の学生時代には、一向現実感を持って受け取ることのできなかった私(森信三先生)も、卒業後、多少人生の現実に触れることによって、次第にその訳が分かりかけてきたわけであります。

そこで、現在の自分にとって、一見いかにためにならないように見える事柄が起こっても、それは必ずや神が私にとって、それを絶対に必要と思召されたが故に、かく与え給うたのであると信ずるのであります。

いやしくも我が身の上に起こる事柄は、そのすべてが、この私にとって絶対必然であると共に、またこの私にとっては、最善なはずだというわけです。 それ故われわれは、それに対して一切これを拒まず、一切これを却けず、素直にその一切を受け入れて、そこに隠されている神の意志を読み取らなければならぬわけです。したがってそれはまた、自己に与えられた全運命を感謝して受け取って、天を恨まず人を咎めず、否、恨んだり咎めないばかりか、楽天知命、すなわち天命を信ずるが故に、天命を楽しむという境涯です。

不幸というものは、なるほど自分も不幸と感じ、人もまたそれを気の毒、哀れと同情する以上、一応たしかに不幸であり、損失であるには違いないでしょう。しかしながら、同時にまたよく考えてみれば、かつては自分が不幸と考えた事柄の中にも、そこには、この人の世の深い教訓のこもっていたことが次第に分かってくるという場合も、少なくないでしょう。

われわれ人間は、自分が順調に日を送っている間は、とにかく調子に乗って、人の情けとか他人の苦しみなどというようなことには気づきにくいものです。そこで人間は、順調ということは、表面上からはいかにも結構なようですが、実はそれだけ人間が、お目出たくなりつつあるわけです。すると表面のプラスに対して、裏面にはちゃんとマイナスがくっついているという始末です。同時にまた表面がマイナスであれば、裏面には必ずプラスがついているはずです。ただ悲しいことにわれわれは、自分でそうとはなかなか気づかないで、表面のマイナスばかりに、気をとられがちなものであります。そして裏面に秘められているプラスの意味が分からないのです。

引用が長くなりました。いろいろなことがおこる昨今、森信三のいわれるように、目の前に起こっていることを最善ととらえることは、なかなか難しいことかもしれませんが、ピンチがあってもそれはとらえようによってはチャンス。来年のよきことを思い描きながら、今年いっぱいがんばって、また来年に向けて大きなエネルギーをためていきたい今日この頃でした。

参考文献:「修身教授録」(著者 森信三 致知出版社)

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