今年のゴールデンウィークは3年ぶりに行動制限なし、新型コロナが収束したわけではありませんが日常生活は少しずつ平常が戻りつつあります。皆様いかがお過ごしでしょうか。今回は、落語家の四代目三遊亭圓歌さんの話がのっていた「1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書」(致知出版社)からご紹介させていただきます。
うさぎはなぜかめに負けたのか
四代目三遊亭圓歌さんは、古典落語をベースにして、多くの経営者の言葉や中村天風など先哲の言葉をとりいれられて、人々を笑わせ、元気づけるという芸風を確立された落語家です。本書の中で、その芸風を確立されたきっかけについて、圓歌さんの遠縁にあたるジュポン化粧品本舗の養田社長から言われた言葉が紹介されており、印象に残りました。以下そのときのエピソードを引用させていただきます。
『私(三遊亭圓歌さん)が真打ちになったのは昭和62年5月。林家こぶ平さんと一緒の昇進でした。真打が発表されると、二人がいる部屋に一斉にマスコミが押し寄せたのです。ところが、フラッシュを浴びたのはこぶ平さんだけ。数メートル横に私がいたのですが、どこの社も見向いてもくれませんでした。考えてみれば、こぶ平さんは正蔵、三平と続いたサラブレッド、一方の私は、いわば落語界には何の縁もない田舎生まれ、田舎育ちの駄馬でした。
私はくやしくて涙を抑えきれなくなって走って外に飛び出し、電車に乗りました。そこに偶然にも養田社長がいたのです。「歌さん、浮かぬ顔をしてどうしたんだ」と聞かれ、私は理由を話ししました。すると養田社長はこう切り出したのです。
「うさぎとかめの童話があるだろう。うさぎは、どうしてのろまなかめに負けたのか。言ってごらん。」私は答えました。「うさぎにはいつでも勝てると油断があったのです。人生は油断をしてはいけないという戒めです」と。養田社長は「本当にそう思っていたのか。零点の答えだ」と語気を強めて、静かにこのように話したのです。
「かめにとって相手はうさぎでもライオンでも何でもよかったはずだ。なぜならかめは一遍も相手を見ていないんだよ。
かめは旗の立っている頂上、つまり人生の目標だけを見つめて歩き続けた。一方のうさぎはどうだ、絶えずかめのことばかり気にして、大切な人生の目標をたった一度も考えることをしなかったんだよ。
君の人生の目標は、こぶ平君ではないはずだ。…
苦しいときにはああ何と有り難い急な坂道なんだ、この坂道は俺を鍛えてくれているではないか、と感謝しなさい。有り難いというのは難が有るから有り難いんだよ」と。』
圓歌さんはこの養田社長の一言で迷いが吹っ切れたと言われています。
「終に無能無才にして…」
最近尊敬する経営者の仲間が、松尾芭蕉の「終(つい)に無能無才にして此(この)一筋につながる」という言葉を紹介されて、このような人生でありたい旨話をされたことが印象に残っています。
俳聖と呼ばれた芭蕉ですら、様々な葛藤の末にこの道こそと思える自身の人生の目標を見出し、一歩一歩その道を歩んでいかれたのだということを知りました。
景気はまだまだ不透明な昨今ですが、いろいろなことがあっても人生の目標を見失わず、この一筋にと思えることに、楽しみながらうちこめる人生で、私もありたいと思った今日この頃でした。
参考文献:「1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書」(致知出版社)